「考える」と「感じる」

何がしたいかわからない

お金の「ムダ使い」を

ついしちゃうあなたも
あまりしないあなたも

こんにちは。

電気シェーバーの網刃に穴が開いていて激痛が走り杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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んー、「ムダ使い」かぁ。

私、長年ワークングプアとして過ごした経験がありますから、あまりムダ使いはしないんですけど、

自分が「ムダ使い」をしていないかチェックするためのスキな質問があるんですよ。それがこれです。

「もし世の中に、あなた以外誰もいなくなったとしてもあなたはそのモノを買いますか?」

まぁ、実際には「自分以外に誰もいない」なんて、あり得ないシチューションですけど、

でもこの質問を考えてみると、

いかに自分が、「人から良く見られるため」にお金を使っているか

がわかると思うんです。

もし自分以外誰もいなかったら、

服なんか、全部ファストファッションを買っていたり、化粧品やハイヒールなんて買わなかったりして。(笑)

でもまぁ、「人に良く思われようとする」って別に悪いことじゃないと思うんですけど、

限られたお金を使うには、

「人から」良く思われることを優先するより、もっと「自分にとって」有効なお金の使い道ってあるんじゃないか

とも思うんですね。

あ、それから、お金に関する本を読むと、ムダ使いしないためには、

そのモノが、「欲しいモノ」なのか、「必要なモノ」なのか見極めて、「必要なモノ」だけを買う、

みたいな話もよく聞くんですよね。

これって、ムダ使いしないためには

欲しいという「感情」に流されずに、ちゃんと「考え」なさい

って意味だと思うんですけど、

まぁ、「ムダ使い」に限らず、

人は「感情」に流されて、「考え」なくなったら、どんどん「ダメな人」になっちゃうわけですよね。(笑)

仕事がイヤだからって、会社行って、

「こんなの興味ないもん!やりたくないもん!」とか言っちゃいけないわけですよ。(笑)

ところがですよ、

このブログでおなじみの「自分の本当にやりたいことが、わかるには?」という話になると、

むしろ、「やりたい!」とか「スキ!」とか、そういった感情に流される必要があるというか、

「考える」より、「感じる」ほうが「本当にやりたいこと」がわかるんですよね。

あ、こういう話って、今までもこのブログの中でよくお話していたと思いますけど、

今回の記事はそれを、もうちょっと詳しくご説明したいと思います。

 

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えーと、ではまず、以下の2つの文を比べてみてくださいね。

私は○○と考えます
私は○○と感じます

この2つの文、「ほぼ同じ意味」に聞こえるんですよね。

実際みなさん、「考える」と「感じる」って厳密に使い分けていないと思うんです。

でもこの「考える」 と 「感じる」 って違うものなんですよ。

たとえば、私、カレーがスキなんですけど、

「杉田さん、なんでカレーがスキなんですか?」
みたいに聞かれたら、

「辛いものがスキだから」とか答えると思うんですけど、

さらにその答えに対して、

「辛いものは他にもあるのに、なんでカレーがスキなんですか?」
みたいに、この先どんどんスキな理由を聞かれたら、

最後は、

「スキだから、スキなんだよ!」

みたいに言葉で説明できなくなっちゃうと思うんですね。

こういう場合、

スキな理由を言葉にできる部分は、「考える(知的な分析)」で、
最後の言葉にならない部分が、「感じる」

なのかなと思うんです。

それをもっと整理して言えば、

「考える」 = 言葉
「感じる」 = 言葉にならない体の感覚

といえるんじゃないかと。

で、この「考える」と「感じる」の違いを、さらにあげていきますと、

「考える」のは、「アタマ」
「感じる」のは、「カラダ」

なんですよ。

そして、「アタマ」、「カラダ」には、それぞれこんな役割があるんです。

アタマは、「損得」を判断する (すべき or すべきじゃない)
カラダは、「快不快」を判断する (スキ or キライ)

↑これを見ると、もうおわかりかと思いますが、あなたの「本当にやりたいこと」の答えは、

「アタマ」ではなく、「カラダ」のほうにあるんですよ。

だって、「本当にやりたいこと」って、「損得」や「すべき」でやらないでしょ。
「スキ!」だから「やりたい!」からやるんでしょ。

だから、私はいつもこのブログで、

「やりたいことは、アタマで考えてもわからない」

って言ってるんです。

でもよく考えてみれば、当たり前のことなんですけど、

この「アタマ」と「カラダ」は、本来は「一体」というか、「つながっているもの」ですよね。

なので、「アタマ」と「カラダ」が、ちゃんと「つながって」いれば、アタマが、カラダのメッセージをキャッチできるから、「自分がどうしたいかわかる」はずなんですよ。

でも、「何がしたいかわからない」人は、この「アタマとカラダの風通しが悪い」んですね。

だから、カラダに「やりたい!スキ!」という「感じ」があっても

「アタマ」がそれをキャッチして言葉にできなくて、「何がしたいかわからなくなっている」んです。

なので、セラピーって、結局のところ

「アタマとカラダの風通しを良くするサポート」

をやっているんですよ。
自分の本当の望み・気持ちがわかるように。

あ、でもですね、ここまでのお話してきたことって、実はいろいろボロがあって、

「考える」 = 言葉
「感じる」 = 言葉にならない体の感覚

だとしたら、

「悲しい」と「感じて」いるのを言葉にした時点で、
「感じる」が「考える」になってしまうのではないか、

とも言えるんですよね。(笑)
だったら、「感じるってなに?」みたいな。

それに、「アタマとカラダの役割って、どうやって分けるの?
それって分けようがないんじゃないの?」

みたいなツッコミもできるわけですよね。(笑)

でもここでお伝えしたいことの本質は、

「考える」と「感じる」
「アタマ」と「カラダ」

そういう言葉の厳密な定義ではなく、それをあくまでも比喩的にお話しているだけで、

大切なのは、

あなたの中に、「考える」という「知的な分析」とは明らかに違う、

「なんだかわからないけどカレーがスキ!みたいな、ウソつけない感覚ってありませんか?」

ってことなんです。

私、「カレーをキライになれ!」って言われても、できないですし、

「EXIL●スキになれ!」って言われても、やっぱりできないですもん。(笑)

ということで、そういう

「言葉にできないけど、ウソをつけない体の感覚」に身をまかせていくこと

が、「自分が本当にやりたいことがわかる近道」になるんだと思うんです。

あ、そうそう、セラピーでも、

「自分が本当にやりたいことを知りたい」と言われるのに、

「○○やっても、こういう悪いことがあるからできない」
「○○やっても、うまくいくかわからない」

みたいなことばかり言っている人っているんですよね。

これこそ、まさに「アタマ」で考えて、「損得」の話をしているんですよ。

でも、「本当にやりたいこと」って、

「あなたのカラダが「スキ!」と感じること」

によってのみわかるもので、

アタマで「損得」の話ばかりしているうちは、「本当にやりたいこと」を知る土俵に乗っていないと思うんですね。

だって「本当にやりたいこと」って、

「たとえ損してもやりたいこと」
「うまくいこうが、いくまいが、やりたいこと」

じゃないですか。

あ、もちろん、「本当にやりたいこと」という言葉の意味が、

「適職(自分がうまくできる仕事・自分に向いている仕事)」
「自分のパフォーマンスが高い趣味」
「人からスゴイと思われる何か」

ということであれば、アタマで考えればいいわけですよね。

「うまくいかせる」ためには、「考え」なきゃいけないし、
「自分の望みを知る」には、「感じ」なきゃいけないし。

 

あなたはどうでしょう?

「考えていること」と「感じていること」を区別できていますか?

アタマだけで「考え出したこと」を、「本当にやりたいこと」だと思っていませんか?

 

それでは今回はココまでにします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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