ポンコツな車を走らせる

ココロのコラム(雑記)

「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」というドラマを

ご存知のあなたも
ご存知ないあなたも

こんにちは。

苦手なオレンジ風味のチョコを選ばないようにしているのに、選んでしまう確率が高杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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いやいや年末ですねぇ。

みなさん、今年はどんな1年でしたか?

私は、自分のこと以外で忙しかった1年だったんですけど、

例年以上にたくさんワークショップを開催できたし、多くのクライアントさんにお会いできて、ありがたい1年だったなぁ。

 

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さ、ということで、今回は今年最後のブログになるんですけど、みなさん、ちょっと前までテレビで放送していた、

「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」

っていうドラマをご存知ですか?

このドラマ、三谷幸喜さん脚本で、1984年の渋谷が舞台の話なんですけど、

その中に、私が印象に残ったセリフがあったので、ご紹介したいと思います。

まずドラマの設定としては、ひょんなことから演劇のド素人ばかりが集まって、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の舞台をやることになるんですけど、

舞台の出演者たちって、単に演劇の素人ってだけでなく、みんなクセが強くて、ポンコツな人たちばかりなんですよ。 で、トラブルを連発する。

でもその出演者たちに向かって、菅田将暉さん演じる演出家が、こんなセリフを言うんです。

 

みなさん、うまく演じる必要はない。
大げさに泣いたり、笑ったりしなくてもいい。
そんなことは、そこいらの三流劇団に任せておけばいい。

お芝居とは、「世の中を映す鏡」だと思ってください。
ここに特別なことはなにもない。
みんなが生きているこの世界をそのまま映し出せばいい。
みなさんが自分なりに演じることで、
みなさんにしかできない、みなさんの「夏の夜の夢」が生まれるんです。

 

私、このセリフを聞いて、「あぁ、なんか自分の人生そのものだなぁ」って思ったんですよ。

あ、なんというか、私、今でこそ自分が社会不適合者ってことはわかってますけど(笑)、

元々は真面目で、学校にも行けてましたし、新卒で上場企業に就職するまでは、わりと社会のレールに乗っていたんですよね。

でも気がつけば、仕事を転々としたり、引きこもったりしたりして、どんどん生きづらくなっていったんですよ。

でもある時、心理を学び、心理セラピーを受けたらジワジワと元気になっていって、

ついには自分が心理セラピストになって、早19年・・・という感じで今に至るわけですけど、

菅田将暉さんのセリフって、生きづらかったころの自分に言ってくれてるような気がしたしたんですよね。

で、それと同時に、

「あぁ、そういえば昔のオレって、なにかと  ”うまくやろうとしていた”  なぁ」

ってことを思い出したんです。

あ、この「うまくやろうとする」って、

たとえば、就職活動だったら、「こうすれば面接に受かる!」みたいな方法を調べて、それを必死にやる、みたいなタイプだったんです、私。

でも心理を学ぶようになってから、いつの間にか、世間の価値観に寄せて「うまくやろうとする」ことをしなくなっていったのに、

なぜかうまくいったり、しっくりくる人生になってたんですよね。

なので、菅田将暉さんのセリフって、私の中では、勝手にこんなふうに変換されて聞こえてきたんです。

 

「うまくやろうとして小細工するんじゃない。
人から評価を得るために、自分を大きく見せようとしなくていい。
そんなことをしたって得るものは、たかが知れている。

なんの特別でもない、そのまま自分を出せばいい。
その結果を引き受けて生きろ。
小細工して得るものよりも、もっと大きなものを得る。
そしてそれが、自分にしかできない人生になる」

 

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あ、でも、私がこんな話をすると、

「杉田さんは、自分らしく生きようとしたから、変われたんだ」

みたいに思われてしまうかもしれないんですけど、

実際は、ぜんぜんそんな「自分を変えた」みたいな感じではなくて、むしろ、

「私は、変わっていない」

って思ってるんです。

それがどういう意味か、「車の運転」に例えてお話しますと、

私は車を運転しています、と。

まわりを見ると、最新の車ばかり走っているから、自分の車も、てっきり最新の車とばかり思っていたけど、どうもまわりと同じように走れない。

スピードが出ないから、どんどん抜かされるし、
カーブを曲がりそこねるし、
まわりからもヘンな目で見られる。

ヘンだなと思って、よくよく自分の車を見てみると、30年前に作られたポンコツな車だったことに気づいた。

しかも、この車は交換してもらえない。
自分は一生この車で走らないといけない。

そのことにショックを受けて、しばらく動けない。

でも、なんとか走らないといけないと思って、

エンジンをしばらく温めてから運転したり、
急発進、急加速、急ブレーキをしないようにしたり、
長距離運転や山道は避けたり、

この車のクセを知って、なんとか走らせようとする。

でもそうやって走らせているうちに、なぜかまわりから、

「そのビンテージカーいいですね!」
「味がある車ですね!」

とか言われるようになり、

自分でも、「そうか、この車はビンテージカーなのか」と気がつく。

もちろん最新の車のようには走れないし、行ける場所も限られるけど、前よりも運転するのが楽しくなってきた。

そんな感じのことが、私に起こったことなんです。

なので、私自身は、昔も今もポンコツな車を運転していて、変わってないんですよ。

で、私の中では、生きづらさから抜け出せた理由は、

「自分のトリセツを知って、できないこと・苦手なことを、なるべくしないようにしているから」

だと思っているんですよね。

それって「もう少し自分を使いこなせるようになった」みたいなイメージでしょうか。

昔は、自分の車がポンコツであることが認められず、最新の車と同じように運転してたから走れなかったけど、

今は、ポンコツな車であることを受け入れて、その取り扱い知ったから、なんとか走らせることができている、みたいな感じ。

でもそうしていると、自分が最新の車のフリをして無理に走らせている時より、ぜんぜんしっくりくるし、人からも嬉しいこと言われるんですよ。

で、そうしているうちに、

「元々ポンコツなんだから、もう小細工したってしょうがない」

って、あきらめがついて、だんだんと「うまくやろうとする」ってことをしなくなっていったんでしょう。

なので、私は、「自分らしく生きようとしたから、変われた」とかではなく、

たくさんの「あきらめ」があって、今に至るんですよ。

いやぁ、でもホント、この「ポンコツな車を走らせる」って表現、自分がやってきたことのイメージに、すごくピッタリだなぁ。

あ、でも私、自分に対して、「ポンコツ」とか、「社会不適合者」とかって言葉を使う時って、卑下してるとか、投げやりになっているって感じではなくて、

「しょうがないなぁ、オレ」と苦笑いしつつも、
「しかたねぇ、このオレでやってやるか!」って、

「あきらめ」と「覚悟」が同居しているような感じなんですよね。

めんどくさいヤツだなぁ(笑)。

あ、では最後にもう一度、菅田将暉さんのセリフを置いておきますね。

 

みなさん、うまく演じる必要はない。
大げさに泣いたり、笑ったりしなくてもいい。
そんなことは、そこいらの三流劇団に任せておけばいい。

お芝居とは、「世の中を映す鏡」だと思ってください。
ここに特別なことはなにもない。
みんなが生きているこの世界をそのまま映し出せばいい。
みなさんが自分なりに演じることで、
みなさんにしかできない、みなさんの「夏の夜の夢」が生まれるんです。

 

 

さ、今日も、来年も、そしてこれからも、

ポンコツな車を走らせますか!

 

 

 

それでは今年のブログはココまでにします。

今年もブログをお読みいただきまして、本当にありがとうございました!
また来年お会いしましょう!

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