「当たり前」すぎてスルーしていることをあえて意識化する

ココロのコラム(雑記)

住みたい街が

あるあなたも
ないあなたも

こんにちは。

妻に「この格好 ヘンかな?」と聞いたら「それほどヘンじゃない」と言われて「それほど」が気になり杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、私 ちょっと前に、引越しを検討している友人と話したんですね。
で「どこに住むのが良いか?」なんて話をあーだこーだしてたんですよ。

そしたらフと「あれ?自分はなんで今住んでいる街に住んでいるのかな?」って疑問が浮かんできたんです。

もちろん今住んでいる街は「自分が住みたいから住んでいる」わけですけど、もっと根本的な理由ってあるんじゃないかって。

で、その答えを考えているうちに、私、友人にこんなこと言ってたんです。

 

「今 自分は 世間では高級住宅街って言われてる街に住んでるけど、なんでここに住んでいるかっていうと、たまたま実家がこの街にあったからだと思う。

○○とか△△とか、他にも同じような高級住宅街って言われてる街ってあるけど、自分は、○○とか△△って名前 聞いても「そんな高級住宅街 住めるわけない!」と思ってしまって、 はなっから住む選択肢から排除してしまうのに、今住んでいる街は、なぜか住めると思える。同じ高級住宅街なのに。

要は、自分が体験して慣れていることは、それが「当たり前」って思えるから選択肢として考えられるってことなんだよね。もし実家が今住んでいる街になかったら、この街に住めなかったと思う」

 

あ、最初に誤解のないようにお伝えしておくと、私の実家 ぜんぜん謙遜ではなく、お金持ちではありません。両親はお金がないことでしょっちゅうケンカしてましたし、父はだいぶロックな人で、定年退職した時、飲み代で500万円の借金作ってましたから(笑)

私が今 住んでいる街は、たまたま母が生まれ育った街だったので、そこに両親が住んで、私は平均的な昭和のサラリーマン家庭に育っています。

で、私が言ったことに対して、友人は「その話わかる!」と。そして、

「ダンナが「ここに住むのはどう?」とか言ってくる家を見て「最寄り駅まで徒歩17分」とか書いてあると、私には住むイメージわかないけど、ダンナはそれくらい駅から離れた家に住んだことがあるから「徒歩17分」なんか当たり前で住むのにぜんぜん抵抗がないみたい」

「引越しのことを言うと、友達から「□□という街、栄えてるし家賃安いから住みやすいよ!」とかススメられるけど、実際 □□も住めば良い街なのかもしれないけど、自分が知らない街にあえて住む理由がないから、やっぱり□□を選べない」

なんてことを言っていて、ホント 人って、自分が体験して慣れていて、それが「当たり前」ってなってることじゃないと、選択肢として考えられないんだなって思ったんですよね。

あ、そういえば 過去記事でもお話しましたけど、有名な経営コンサルタントの方が、

「自分が入った会社が、たまたま「世界的なプロジェクト」をやっていて、入社したばかりのあなたが、そのプロジェクトの末端の仕事をしたとする。たとえそれが「コピー取り」の仕事だったとしても、それを体験することで、あなたは今後「世界的なプロジェクト」をイメージできようになるし、将来自分にそういうオファーをきても、おかしくないと思えるようになる」

なんて言っていて、そういうのも「当たり前」ってことの延長線上にある話だなって。

 

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さ、ということで今回の記事は、そんな感じで、

「当たり前」

ということについて、脈略のない話をアレコレしたいと思うんですけど、

私が「当たり前」っておもしろいなと思うのは、自分が「当たり前」って思っていることって、それによって得ているメリットに無自覚だったりするんですよね。

これどういうことかというと、前にシャーリーズ・セロンというキレイな女優さんのインタビューを読んだことがあって、彼女 「モンスター」という映画の中で、外見をみにくくする特殊メイクをしたそうなんですけど、

「そのメイクのまま映画セットの外に出てみたら、世の中の人の自分に対する態度がぜんぜん違ってショックを受けた」

みたいなことを言ってたんですよ。

要はいくら「内面が大切」って言っても、人は美しい花を愛でますから、美人って なんだかんだまわりから優遇されてる部分はあると思うんですね。

でもシャーリーズ・セロンはきっと美人なのが「当たり前」すぎて、そのメリットに無自覚だったんでしょう。で、自分がそうじゃない立場になって初めて気づいたというか。

そういうのが、「自分が「当たり前」って思っていることって、それによって得ているメリットに無自覚だったりする」ってことなんです。

あ、で、私 最近そんなふうに「当たり前」ってことを考えていると、いろいろ思うことがあって、

「自分が当たり前すぎてスルーしていることをあえて意識化することで、もっと自分を活かせるんじゃないか?」

って思ったんですよ。

これ どういうことかというと、たとえばですが、自分が停滞している時って、なんとか自分の「売り」になることを身につけて浮上しようとするじゃないですか。「よし、これから ●● を勉強して、それを「売り」にして世に出るぞ!」みたいに。

もちろん そういうやり方で自分の「売り」を身につけて浮上するケースもあると思うんですけど、

自分の本当に「売り」になることって、これからガンバって身につけるものというより、もうすでに自分が持っていて、むしろ自分が「当たり前」すぎて気づかないようなものの中にこそあるんじゃないか

って思うんですよね。「地方にある良いものは、地元の人は当たり前すぎて気づかない」なんて話があるように。

日本も今年のオリンピックの時、「電車に乗るのに整列している」とか、「街にゴミが落ちていない」とか、「当たり前」すぎることが世界から「スゴイ!」って言われてましたよね。

あ、私も考えてみれば、心理セラピストを目指したキッカケって、長い間無職で就職できないことに悩んでいた私に、友人が言った、

「どうして杉田さんが就職活動してるんですか?杉田さんは感度が高いんだから、それを活かす仕事をすればいいじゃないですか」

って一言だったんですけど、これ 今にして思うと、私の「当たり前」を友人が意識化してくれて、私自身もそれが「売り」になることに初めて気づいた瞬間だったと思うんです。

なので、自分が停滞して浮上したい時って、自分の「当たり前すぎることをあえて書き出してみる」って、おもしろいんじゃないかって。そういうこと、あまりしないでしょ?

 

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あ、それから「当たり前」ということで、ちょっと話の角度は変わりますけど、私の師匠の竹内修一さんから、仕事のアドバイスとして、

「その業界の「当たり前」を100個書き出してみる」

っていうことを教わったことがあるんです。

例えば、「銀行」だったら、

① 9時~15時まで窓口が受付している
② 土日祝日休み
③ ATMがある
④お金を預ける
⑤お金を貸す・・・

など、銀行に関して「当たり前」すぎることを100個書き出してみるんですって。

で、その「当たり前」の逆のことをするとビジネスチャンスになるそうですよ。

その時 竹内さん、「もしオレが銀行やるんだったら、17時オープンの銀行をやるな。ガッハッハ!」って言ってましたっけ。(笑)

たしかに平日働いている人は、なかなか銀行の窓口って来づらいですから、もしそれができたら、17時以降しか来れないお客さん独占ですよね!(笑)

あ、そういえば、パン屋さんには「焼き立てパンを置いてある」っていうのは「当たり前」ですけど、その逆をやってる「焼き立てパンを置いていないパン屋さん」が話題になってるって記事、最近読みましたっけ。

(その記事はコチラからどうぞ)

焼き立てパンは置いていません! パン屋の”当たり前”をくつがえす「時をとめるベーカリー」は、なぜ生まれたのか?
パン屋の魅力といえば、焼き立ての香りが充満する空間でおいしそうにテカテカと光るパンを選ぶことといっても過言ではないだろう。神奈川県・瀬谷駅直結のパン屋「時をとめるベーカリー」はそんなパン屋の常識をくつがえす。「うちには焼き立てパンは置いていません」。どういうことなのだろうか? パン屋の魅力をとっぱらった店はなぜ生まれた...

 

このパン屋さんも、まさに「その業界の「当たり前」の逆のことをするとビジネスチャンスになる」って話だし、

考えてみれば、私がやっている「悩んでいない人の悩み相談」も、心理業界の逆をやってますよね(笑)「悩んでいない人」に「相談」って何だよって。(笑)

でも、たしかに今までセラピーとカウンセリングに全く縁のなかった方たちがたくさん来てくださったんだよなぁ。

ね、「当たり前」ってあえて意識化すると、いろいろ使えておもしろいでしょ?

 

さ、ということで、今回は、「当たり前」すぎてスルーしていることをあえて意識化すると、

自分が気づいてない自分の「売り」がわかったり、
「当たり前」の逆のことをすると、他と差別化できたりして、いろいろ活かせるんじゃない?

ってな話でしたとさ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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