思考は現実化しない?

ココロのコラム(雑記)

「嫌われる勇気」という本を

読んだことなるあなたも
読んだこといないあなたも

こんにちは。

バリカンが滑って眉毛の一部を紛失し杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、このブログの「オススメの本」としてもご紹介してるんですけど、

私、「嫌われる勇気」という本がスキで、先日、著者である岸見一郎先生の講演会に行ってきたんですよ。

そしたら、岸見先生、こんな面白いこと言っておられたんです。

 

「よく 「思考は現実化する」って言われてますけど、私はそれに異議をとなえたいんです。思考は現実化しません」

 

あ、この話が、どういう話の流れの中で言われたのかというと、ある吃音で悩んでいる人がいて、

「みんなは、自分が吃音であることをバカにしている」

と思っていたそうなんですね。

でもある時、意を決して、朝、電車に乗った時、話したこともない人に、「おはようございます」って声をかけてみたんですって。

あ、これはローカルな電車での話なので、人はまばらで、いつも同じ人が電車に乗っているという状況で、だそうです。

そしたら、10人中8人が、「おはようございます」って言葉を返してくれたそうで、

その吃音で悩んでいた人は、「みんなが自分をバカにしているわけじゃないんだ」と気づいたそうなんです。

で、岸見先生は、

「自分が、「こうなるんじゃないか」と考えていることなんて、実際はほとんど現実化していないんです」

って言われたんですよ。

私、この話を聞いた時、ニヤリとしちゃったんですよね。(笑)
日頃、思っていることと同じだったので。

あ、自己啓発書とか読むと、成功者の話として、「思考は現実化する」みたいな話って、半ば当然」みたいな感じで、よく出てくるじゃないですか。

でも、私、いつも「そうは思えないんだけどなぁ」と思っていて、たとえば心理セラピストとして全然売れてなかった頃、

「心理セラピストとして食べていける日がくるなんて、とても考えられない」

って、いつも思ってましたし、

普段から、自分が達成できたことを振り返ってみても、私、基本、自信ない人間ですから(笑)、事前には、「できそうもないな」と思っているのにできてしまっていることも多いんですよね。

そう考えると、「思考は現実化する」というのは、実際は例外的なことなのに一般化されているんじゃないかなと思うし、

他にも同ように、例外なのに一般化されていることって結構あるんじゃないかと思ったんですよ。

たとえば、「急がば回れ」。

実際は、急いでいる時は、回るより急いだほうがいいですよね。(笑)

実際は、多少リスクがあっても、急いだことによって、なんとかなったことのほうが多くて、「急がば回れ」をして、うまくいくほうが、例外のような気がするんです。

なのに、急いだことによって失敗した時のことのほうがインパクトがあって、よく覚えているので、「あぁ、急がば回れってことか」みたいになっていると思うんですね。

あ、でもこの話は、あえて言わなくても、みなさんわかっていて、急いでいる時は、わざわざ回らないですよね。(笑)

でも前にこのブログでご紹介した、

成功者の言葉しか世の中には残らないから
『やればできる』が格言になる

という為末大さんの言葉も、「例外を一般化していないか?」という問いかけなんだと思うんです。

実際は、「やってできた」成功者よりも、「やってもできなかった」人のほうが、はるかにたくさんいると思うんですね。

なので私は、「思考は現実化する」というよりは、

「思考は現実化することも、しないこともある」

って思っているんです。

だって、みなさんも私も、きっと今までの人生で、

「あのアイドルとこんなデートをして・・・」
「スゴイお金持ちになって・・・」

みたいなモーソウをたくさんしてきたと思うんですけど(笑)、そういうことの多くは現実化してないですよね。

もし本当にいつも「思考が現実化して」いたら、とっくに一家に一台、「ドラえもん」いるはずだと思うんですよ。(笑)

 

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あ、でもこの話って、「思考は現実化する」の「現実」という言葉をどうとらえるかによって解釈は変わると思うんです。

先ほどの吃音で悩んでいる人の例でいえば、「みんなは、自分が吃音であることをバカにしている」というのが、「その人にとっての現実」と考えるのなら、

まさに、「思考が現実化している」と言えますよね。

あ、自己啓発書って、そういう意味で言ってるのか。(笑)

それに、人間て、たとえば自分が、「あそこにある皿を取ろう」と思ったら、その直後に体を動かして、皿を取っているわけですよね。

そういう意味なら、

「皿を取ろう」と思う

実際に皿を取る

となるわけですから、「思考はいつも現実化して」いますよね。

ということで、どうやら「現実」とか、「思考」という言葉をどう捉えるかで、「思考は現実化するか?」の答えが変ってくるのかなと。

 

あなたはどう思いますか?

思考が現実化しているほうが多いと思いますか?
それとも、現実化してないほうが多いと思いますか?

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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