ハマりやすい人になりたい 違いがわからない男になりたい

ココロのコラム(雑記)

いろいろなことに

ハマりやすいあなたも
あまりハマれないあなたも

こんにちは。

久しぶりに観覧車に乗って下を見たら体がスースーし杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、今回はメンタルに関する記事とかじゃなくて、どーでもいい話なんですけど・・・

エッ、「お前はいつもどーでもいい話ばかりだろ!」ですって?

エヘヘ、ですよね(笑)。

あ、私、最近気づいたことが2つあったので、今回はその話をしたいと思うんですけど、

どうでしょう、みなさんは「ハマりやすい人」ですか?

あ、いきなり「ハマりやすい人」って言われても、いまいち意味がわからないと思うんですが、

たとえば、人気のある俳優とか活躍中のスポーツ選手が身に付けているものをすぐに買ったりする人とか、

推しの追っかけをしてる人とか、推しのグッズを大量購入する人とか、

人気の店に5時間並んで入るとか、

そういう人たちをこの記事では「ハマりやすい人」として話を進めたいと思うんですけど、

ぶっちゃけ私、昔からそういう人たちのことを、冷ややかな目で見てたんですよ(笑)。

なんかミーハー(死語)というか、自分がなくて流されているというか、裏で絵図を描いている人に騙されているんじゃないかって思ったりして(笑)。

昨年「大谷選手のかぶった兜が売れている」なんて話を聞いた時も、「どこのどいつが急にそんなもの買うんだよ!」って思いましたもん(笑)。

でも最近、実はそういう

「ハマりやすい人たちこそが幸せな人なのかも」

って思うようになったんです。

というのは、このブログの中で何度も取り上げている、この為末大さんの言葉を引用しますと、

 

人間は自我を持ち続けることに苦しさを覚えていて、だからほんの一時でも何かに夢中になれた後に幸福感を覚えるのではないか。
私でい続けることは苦しい。
夢中でいる間は私が消滅する。
つまり夢中とは、自らを省みる瞬間がない状態で、且つ対象に心が奪われている。
”している私”に気づいている状態は夢中ではない。

 

この為末さんの言葉を見ていると、「ハマりやすい人」って、夢中になれているわけですから、まさに「幸せになりやすい人」ってことになるじゃないですか。

ハマっている人がその話をしている時って幸せそうですもんね。

で、そんなことに気づいた時、フと自分のことを振り返ってみて、

「ん?考えてみればオレってハマりづらいよな?」

って思ったんです。

子供のころから、みんながキャーキャー言っているアイドルとかのファンになったことがないし、今も昔も流行とかに飛びつく人間でもないですし。

というか、あまり好奇心がないのか、なにかに興味を持つことって、そんなにない気がするんですよね。

で、「なんでかな?」って思ったんですけど、私の父親のことが浮かんできまして、

私の父、かなり斜に構えたタイプで、テレビでニュースとか観ていると、意見を求めたわけでもないのに、

「こうやってブームになるとすぐ飛びつく奴は思考停止だ」
「日本人はすぐムードに流される」

とか、いちいちそういうこと言う人だったんですよ(笑)。

要は、「ハマりやすい人」とか「流行」とか「同調圧力」みたいな、「みんながいっせいにやる」ってことに対して否定的な見方をする人だったんです。

で、私はそういう見方をする父に対して、良いも悪いも思ってなかったんですけど、

無意識に自分の中にそういう見方を取り込んでいたんでしょうね。
だから注目されているものとか、流行っているものに、ワッといけないんじゃないかと。

あ、ちなみに私のまわりにいる、ハマりづらい友人たちにも、

「親が斜に構えてたり、世の中に否定的なことを言う人だった?」

って聞いてみたら、もれなく全員、「そうだった」って言うんですよ(笑)。

あ、なので私、過去記事もご紹介した、以下の記事を最初に読んだ時、自分が脊髄反射のように斜に構えていることに気づいて衝撃だったし、

 

斜にかまえる、かまえないを1分ごとに切り替えるとどうなるか
「斜にかまえる」「かまえない」を意識的に切り替えるとどういう感情になるのか実験してみた。 (與座ひかる)

 

先日、私の友人に上記の記事を読んでもらったら、

「斜に構えるなんて考えたこともなかった!」

って言われて、「そういう人がいる」ってことはアタマではわかっていだけど、いざその存在を目の当たりにすると、その人があまりにも眩しすぎて、「ホント自分と違うんだなぁ」って衝撃でしたよ(笑)。

 

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あ、それから最近私が気づいたことのもう1つは、

「違いがわからないほうが幸せなのかも」

ってことなんです。

これどういうことかというと、あ、物事をよく知るにつれて、前は同じにしか感じなかったことが、違って感じることってあるじゃないですか。

たとえば、コーヒーに興味を持った人が、前はそれほど違いを感じなかったのに、いろいろ飲んでいるうちにその違いがわかってきた、みたいな話。

そういえば昔、ネスカフェ ゴールドブレンドの「違いがわかる男 」ってCMありましたよね。

私、そうやって「違いがわかるということは豊かなこと」だと思ってたし、「違いがわかるほうが良いことだ」みたいに思ってたんですけど、

先日、知り合いから、

「グルメなAさんが、自分が住んでいる地域の飲食店を何年かかけて全部食べに行ったけど、おいしい店が1店もなかったんだって」

って話を聞いた時、

「それ不幸だよな。違いがわからないほうが幸せかも」

って思ったんです。

だって、その地域って少くとも130店以上(食べログ調べ)は飲食店があるんですよ。
「ここもおいしくない、この店もおいしくない」って130店以上やったわけでしょ?

それだけ行って おいしい店が1店もないなんて、なんだかねぇ(笑)。

そうやって食べ物の違いがわかる人よりも、

「なんでもおいしい!」って食べられる人のほうが幸せ

だと思うんだよなぁ。

・・・

あ、気がつけば、ホントぜんぜんオチのない話ですみません(笑)。

いやぁ、今回は飲みに行った時に話すようなこと書いちゃったなぁ(笑)。

 

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さ、ということで、今回は、私が、

「ハマりやすい人たちこそが幸せな人なのかも」
「違いがわからないほうが幸せなのかも」

って気づいたという話でしたとさ。

あ、気がつけばどちらも「幸せ」ってことに関しての気づきでしたね。

んー、でもこうやってみてくると、知識が増えたり、アタマが良くなれば幸せになれるってものでもないし、

むしろ幸せって、アマタで捉えようとするほど遠ざかるってこともわかるなぁ(ポツリ)

幸せって「感じるもの」だもんなぁ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう

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