【ワークショップ参加者の声】 「自分の心の声を聴く フォーカシング・ワークショップ」(2017年開催)

自分の心の声を聴く フォーカシング・ワークショップ

2017年に開催された、

「自分の心の声を聴く フォーカシング・ワークショップ」

に参加された方からいただいた感想を以下に掲載します。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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杉田様

こんばんは。

今帰りの電車を待ちながらこれを書いています。

今のこの感覚を、言葉にして残しておきたくて。

ずっと怖い怖いと思いながら受けていたフォーカシングWSでしたが、最後の最後で自分が隠してきた答えにバチッと当てはまるワードが飛び出してきて、しばらく涙が止まりませんでした。

私は、もう一人の小さな小さな女の子のままの自分をずっと隠して、壊れないように傷つかないように生きてきたんだなと。

やっと気づきました。

思えば、母は小さい頃の方が厳しく

父も気が短くてすぐ手が出る方でした。

母は、自分の母親が中学の時に亡くなっていたこともあり

自分も同じくらいの歳で死ぬかもしれないという、

ある種思い込みが強かったせいで

自分がいなくなっても一人で生きていけるようにと

とにかく『自分でできることは人に頼まず自分でやりなさい。』

の教育方針でした。

今この歳になれば母の気持ちは痛いほどよく分かりますが

当時の幼い私はただただその教えに従うしかなく

それがやがて、
『人に頼ることは悪いこと』
『人に迷惑は絶対にかけてはいけない』

にいつのまにか変換されてしまったような気がします。

今でも人を頼るのが苦手なのは

母親からの教えと

一方で何でも人に頼んでやり過ごそうとする祖母を見ていたからなんだろうと思います。

両極端なんですよね(笑)。

もうひとつ。

小学校の時だったと思います。

人の『裏の顔』というのを見てしまった私は

人より秀でて目立つことは悪いこと、敵を作ること。

という思考回路にもなった気がします。

正直、小学校のときの私は、勉強はできる子でした。

バレエをやっていたので、柔軟性の必要な競技は得意でした。

ただ、そのせいでマット運動で前転か何かを成功させた私を

「すごいね~」と手を叩いて称賛する一方で

「ちっ…」と妬み丸出しの表情を浮かべた同級生の顔を

運悪く目撃してしまったんです。

子供は正直ですからね。

時に残酷です。

今でもその表情を忘れることができないのは

当時の私にとって相当な衝撃だったんだろうと思います。

酷いいじめにあって、学校にいけなくなったこともありました。

女子特有のグループ意識に、悩まされたこともありました。

その度に、私は自分の中の女の子の部分を封印し

強くならなきゃいけない。

頑張らなきゃいけない。

勝たなきゃいけない。

と、思ってきたのかなと。

ピエロに徹して、自分を装ってきたのかもと。

結果を出した自分、誉められた自分を素直に受け入れられないのも

どれだけ頑張っても、まだこうできた、ああできたと思ってしまうのも

ある種の恐怖心だと思います。

敵を作らないため、怠惰な自分を律するための。

そして年を取れば取るほど

その小さな子供のままの自分と実年齢とのギャップを埋められないまま

それを隠して、恥ずかしいから気づかないフリしてたんだろうなと。

周りにはとっくにバレてたのに(笑)。

肝心の自分自身が気づいてなかったなんて。

お恥ずかしい限りです。

ただ、文章を書く以上、やはり頭で考えた内容が先にたってしまうので

今この解釈が正しいかどうかは正直私にもわかりません。

だからこそ、これからが大事なんだとも思いました。

気づいたのはいい。

じゃあ次はどうしなきゃいけないのか?

どうしたいのか?

仕事のこと、恋愛のこと。

でも何だか、少しずつ変わっていける気がしています。

最後にやったグループセッションが私を見つけてくれたんだと思うと

杉田さんをはじめ、

一緒にいてくれた皆様にはもう感謝しかありません。

マイナスな言葉しか発していなかった私の中から

アカルイミライを見つけてくださったことが

今よりまた少しだけ勇気をくれた気がします。

頑張った。

よくやった。

これからは、もう少し肩の力を抜いていこうじゃないか。

今ならそう素直に感じられる気がしています。

あぁ。

やっぱりもっと早く受ければよかったです、このWS(笑)。

ありがとうございました!!!

(匿名 女性)

 

杉田さま

こんばんは、○○です。

いつもありがとうございます。

杉田さんのセラピーと、その後の転職などをきっかけに、自分を取り戻していくような過程に徐々に入っていたのですが、

それ以前の人間関係で、あまりに自分以外の人間になろうとして必死になってたり、NOと言ってはいけないんじゃないかと思い、

NOと言えない部分があったりとか、相手に合わせたりとかしていた都合、わたしの変化と相手の要望のズレが大きくなってしまい、

摩擦が生じ、にっちもさっちもいかなくなった時期がありました。

結果的に距離を置くことにして無理矢理解決させたのですが、久しぶりに連絡があり、言われたり感じたことで、ショックだったり混乱してたことがグツグツと思い出されたのでした。

こういうとき、どうしたらいいのだっけ?

と分からなくなってしまったのですが、

今こそフォーカシングなのでは??とふと思い、

やってみました。(気付くの遅いですね)

先月フォーカシングを学んだのが良かったようです。

感じることに意識を向けて、感覚を手さぐりでぶつぶつ言葉にしていたら、わたしってこんな人間なのか…と見たくない部分にガックリしてしまいました。

年長者(関わってた人)に向かって、
「お前に一体何が分かるんだ…」とか、
「お前はどれほどの人間なのか?」とか
「何一つ気づかなかったくせに!」など、
大変無礼な言葉が出できてしまいました。お前、だなんて。
でもこれが一番しっくりきたのでした…。
こんなこと思ってはいけないと蓋をしていた気持ちも理解できました。

また、残念だった気持ちの奥の方に、
分かって欲しかった、理解して欲しかった、気付いて欲しかった、など、
単に甘えたかったんだなぁという欲求も感じられました。

こらまでの人生であまりフォーカシングに慣れてなかったので、
これが感じるということかと、
杉田さんが気持ちを認めてあげると
感情が暴れるのをやめて静まってくれる(ちょっと違うかもです)、
というようなお話をされていたことが、体感として分かりました。

そういえばわたしの妹は天然でフォーカシングが出来ているというか、
嬉しいときは全身で嬉しそうだし、
落ち込んでいるときは全身で落ち込んでいるので、
自分の感情にきちんと向き合っているなぁなんて思ってたのですが、
こんな感じなのでしょうか。

そのまま寝落ちし、朝起きたらグッタリしていたのですが、
向き合えなかった混乱にフォーカシングで向き合えて、
一緒になれたのが、よかったです。
そしてこんなNGワードを使ってしまう自分も認めてあげよう……と。
(まだ認めたくないですが)

と、フォーカシングができました〜と、お伝えしたくてメールしました。

説明しようと思ったら長くなってしまいました…。

読んでいただきありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしてます。

お休みなさいです。

(匿名 女性)

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