あなたは本当に自分がキライなのか?

自分を責めてしまう

自分のことを

スキなあなたも
あまりスキでないあなたも

こんにちは。

ズボンのチャックが開いていたことに気づかず、下北沢にムダなセクシーさを振りまき杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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え~と、今回はいきなりですが、質問からいきます。

Aさん、Bさんという人がいたとします。
どちらの人の方が、「自分好きな人」だと思いますか?

Aさん 自慢ばかりして、いつも人に賞賛を求める人、
Bさん 傷つくのを恐れて、いつも自分の殻に閉じこもっている人

「そりゃ、Aさんの方が「自分好き」でしょ?」って思いませんか?
Aさん、いかにも、「私を見て!」って感じだし。

でも、この2人は同じだと思うんです。

いや、もう少し正確に言えば、AさんもBさんも、「自分好きな人」というよりは、

「自己愛が強すぎる人」なんです。

あ、この「自己愛」って、ちょっと意味がわかりづらいと思うので、ご説明させていただくと、

ふつうは、「自分を愛する」って大切なことじゃないですか。

でもその「自分を愛する」って、ちょっと幅があると思っていて、たとえば、

「自己肯定感がある」
「自己受容できる」

って人は、「ありのままの自分を認めて、愛することができる人」ってことですから、悩みがあっても力強く生きていけるんですけど、

その「自分を愛する」が過剰な人もいて、

「自惚れる」
「自分だけに注目する」

みたいな「自分を愛する」もあるんですよ。

要は、ありのままの自分ではなく、「(その領域までいっていないのに)理想の自分を愛する人」もいるんですよ。

で、「自己愛が強すぎる人」って、この「(その領域までいっていないのに)理想の自分を愛する人」のことと思っていただけたらと。

でももしかすると、

「いや、いつも人の賞賛を求めるAさんが自己愛が強すぎるのはわかるけど、いつも自分の殻に閉じこもっているBさんのどこが自己愛が強すぎなの?」

って思う方もいらっしゃると思うんです。

だってBさんのような「傷つくのを恐れて、いつも自分の殻に閉じこもっている人」って、とても「自分好きな人」になんかに見えないじゃないですか。

しかも、たぶん本人も、「自分のこと好きじゃない」って、思っていると思いますし。

そういうBさんのような人って、実は心の中で、こっそりと「自分を過大評価している」んですよ。

「自分でもこれくらいできるはずだ」
「自分だって人並みにはできるだろう」
「自分だってこれくらい人から大切にされるだろう」

とか思っているのに、いつも現実の自分が、そのレベルに達していないんですよね。

なので、現実に直面して傷つくのが怖いから、自分の殻に閉じこもってしまうわけです。

「自分を過大評価」だなんて、Bさんもなかなか自惚れているというか、実はかなりの「自分好き」でしょ?(笑)

でも実際は、Bさんのような人って、「自分を過大評価している」とか、「自分好き過ぎ」ってことを、なかなか認めようとしないんですよ。

なので、そんなこと指摘しちゃうと、「いやいや、あの時もダメで・・・、この時もダメで・・・」って、必死なって自分がダメだと思う証拠を並べてくるんですよね。

「これだけダメだったら、自分のことダメだと思っても仕方ないでしょう?」みたいに。

でもこれ、逆から見れば、もし本人の言う通り、本当に毎回毎回ダメなのだとしたら、それでも自分ができもしない、「理想の姿」を掲げ続けるなんて、いったいどれだけ自分を信じているのかと。

これ逆にスゴイですよね(笑)。

あ、そういえば、明石家さんまさんが、

「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん」

っておっしゃってますけど、たしかに自分をそこまで高く見積もっていなければ、そんなにいつも落ち込むことはないと思うんですよ。

でも「自己愛の強すぎる人」に対して、「自分に厳しすぎるんじゃない?」とか、「もう少し目標を下げたら?」とか言っても、なかなか聞く耳を持ってくれないんですよ。

「理想を高く掲げないと自分がダメになる」と思ってるから。

でも実際は、理想を高く掲げ過ぎることで、自分がダメに・・・・・アッ!(笑)

なんで「自己愛が強すぎる人」が、こんな滑稽ともいえる、「自分を過大評価するクセ」がやめられないのかというと、その人の「自己愛が傷ついているから」なんです。

人は育っていく過程で、親をはじめ、周りの人たちから「ほどよく」愛されることが必要なんですけど、

その愛情が、「ほどよく」ではなく、不十分であったり、逆に過剰だったりすると、「ありのままの自分」の存在が認められているように感じることができずに、

誰かに具体的な称賛をしてもらわないと不安になる。← Aさん
批判されるのを過度に恐れるようになる ← Bさん

んだそうです。 そういうのが、「自己愛が傷ついている人」なんですね。

自分の外側に、十分な「愛情」や「安心」がなかったから、自分の内側に、「理想化した自分」を作り、自分を愛することで、自分を支えようとしているんですよ。

では一方で、「健全な自己愛が育っている人」はどうかっていうと、いつもふつうに自己愛が満たされていますから、

自分の限界を受け入れる事がそれほど難しくなくて、ある程度の失望や逆境や失敗に耐えられるわけですよね。

だから人にそんなに賞賛を求めたり、落ち込んで自分の殻に閉じこもらなくても、人生やっていけるわけなんです。

 

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あ、で、そんな「自己愛が強すぎる人」にはいくつか特徴があるんですけど、それを箇条書きにしてみますね

(1) なんでも「上手くやろうとする」
いつも自分が試されているように感じる。
人と接する時も、「うまくこなさなきゃ」という持ちが強く、「人と会うことそのもの」を楽しめない傾向がある。

(2) 「自己愛を満たしてくれるか?」を基準に行動する
誰かと出かけたりする時、「ああして、こうして・・・」なんて相手のためを思って計画しているフリをして、実は相手よりも、「自分が相手の前で上手く振舞えること」の方が大切だったりする。

恋愛においても、「自己愛の強すぎる人」は、「相手」ではなく、「自分自身」と恋愛してますから、付き合う方は、どこか自分がパートナーじゃなくてもいいような気がします。

つまり、「自己愛の強すぎる人」は、ある意味、「人を愛せない人」なんじゃないかと・・・

(3) 人からの評価に過剰に反応する
「自己愛が傷ついている人」は、「ありのままの自分」の存在が認められているように感じることができずに、

誰かに具体的な称賛をしてもらわないと不安になったり,、 ← Aさん
批判されるのを過度に恐れるようになったりします。← Bさん

これって、ある意味、「人が自分のこと、すごく気にしている」と思っているんですよね。
でも実際は、世間の人って、自分が思っているほど、そんなに気にしてくれていないんだけどなぁ。

(4) 白黒ハッキリさせたがる
ちょっと人の嫌な所を見つけると、その人にバッサリ、「ダメな人」とレッテルを張ってしまう。
「人には良い所も、悪い所もある」という当たり前のことを実感としてわかっていない。

ちょっとしたことで、他人を必要以上に理想化したり、軽んじたり、その間を行ったり来たりする。

これは自分自身に対してもそうで、ちょっとしたことで、すごく落ち込んだり、逆にカンタンに調子にのったりもする。

ということで、いくつか「自己愛が強すぎる人」の特徴を書いてきましたけど、けっこうドキッってすること、ありませんでした?

あ、で、この「自己愛が強すぎる」からの回復は、まずは自分の中にある、「自己愛の存在」に気づくことがスタートなんですって。

 

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ということで、いろいろ話が長くなって、まとまっていませんが、

Bさんのように、一見、「自分スキ」に見えない方が、実は、「自分スキ過ぎ」「自己愛強すぎ」だったりしますよ、

てな話でしたとさ。

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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