こだわるものは自分で決められない

何がしたいかわからない

自分の「こだわり」が

あるあなたも
ないあなたも

こんにちは。

大阪が楽し杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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いやぁ、私の夏休みが終わりました。

こんなにのんびりできたの、何年ぶりかなぁ。

あ、私、前に有名な心理セラピストの先生とお話をした時、

「個人セッションすると、なんであんなに疲れるんでしょうね。なんとも言えない、独特の疲れがありますよね」

なんて話になったんですね。

で、先生に、「どうすれば疲れなくなりますかね?なにか良い方法ってありますか?」ってお聞きしたら、あっさり、

「休むことです」って言われたんですよ。(笑)

でも今回の休みで、私も本当に「疲れには、休むに勝るものはなし」って実感しました。

来年からの個人セッションは、「週5日→週4日」とかにしちゃおうかなぁ。(モワーン)

 

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あ、で、話変わりまして、私、その夏休み中に、私の師匠の竹内秀一さんとお話する機会がありまして、「こだわり」みたいな話になったんですね。

ほら、「情熱大陸」とか、「プロフェッショナル 仕事の流儀」とか、そういうテレビ番組って、

「強いこだわりを持って、一流の仕事をしている人の話」が紹介されるじゃないですか。

そういう人を観ると、「あぁ、すごいなぁ。それに比べて、私はなんでガンバレないんだろう」とか、自分が情けなくなったりすることってありませんか?

特に紹介されている人が、「自分と同世代」だったりすると、よけい落ち込んだりして。(笑)

でも、竹内さんと話していて、フと思ったのは、

「確かに、彼らはスゴイけど、『たまたまそれにこだわりたかった人』というだけの話じゃないか」

って思えてきたんですよ。

あ、これだけだと意味がわからないと思いますので、もうちょっとご説明させていただくと、

私、食べ物とか、服装とか、あまり興味がないし、普段は、なんでもかんでもこだわりが強い人間てわけじゃないんですけど、

でも、いくつかはこだわっていることもあって、たとえば、「このブログを書く」ってことに関しては、強いこだわりを持っていると思うんです。

文章のリズムとか、
言葉を、ひらがな or カタカタ or 漢字にするか?
語尾が、「ね」、「よ」、「よね」、「です」、「かなぁ」のどれにするか?
どういう表現を使うと伝わるか?

とか、そんなことを気にしながら書いていると、ブログ1話書くのに6時間以上かかっちゃうんですよ。

セラピーが休みの日に、朝からブログを書いても、夕方になってもまだ1話書き上がらないことも多くて、

「あー、オレ、今日休みなのに、何やってるんだろう・・・」とか、しょっちゅう途方に暮れているんです。

でも結局そんな生活を、私は何年もやっているんですよね。

でもですね、「なんでそこまでブログにこだわるんですか?」って聞かれても、自分でもよくわからなくて、「そうしないと、なんか納得できない」んですよ。

私、ブログ書くのは自分ではスキじゃないと思っているんですけど、でももし人から、「ブログにこだわるのやめろ!」って言われても、「いや、納得できるまで書きます!」ってなると思うんです。

それって、もう「スキ/キライ」を超えていて、「やらずにはいられない」みたいな感じなんですよ。

「衝動」とでもいうんでしょうかね。

でもなんで私が、

「食べ物」や「服装」にはコダワらなくて、「ブログの文章」にコダワルのか?

って聞かれても、

最終的にはその理由は自分でもわからなくて、

「たまたま自分が、「食べ物」や「服装」にはコダワらなくて、ブログの文章にコダワルという人間だった」

というだけのような気がするんですよね。

それをたとえて言うなら、

「私はセロリはキライだけど、カレーはスキ」

みたいなことと同じで、それは「たまたまそうだった」というだけで、その「スキ/キライ」を、自分の意識でコントロールしようとしても、できないと思うんですよ。

つまり、極端なことを言えば、

「こだわるものは、自分で決められないんじゃないか」

って思っているんです。

ということで、

「情熱大陸」とか、「プロフェッショナル 仕事の流儀」とか、そういうテレビ番組とかに出ている「強いこだわりを持って、一流の仕事をしている人」もそれと同じなんじゃないかと思っていて、

あ、もちろん私なんかとは全然レベルが違って、尋常じゃない努力をしている人たちだと思うんですけど、

最終的なところでは、

「彼らは、たまたまそれにこだわりたかっただけで、たまたまそれが「仕事」と結びついた人なんじゃないか」

って思うんですね。

なので、彼らが取り上げられている番組を観て、「私はなんで今の仕事をガンバれないんだろう」って落ち込むって、あまり意味がないように思えるんですよ。

だって、そういうスゴイ人たちって、

旅行大スキな人が、旅行に行くのがスキなように、
スポーツ大スキな人が、スポーツするのがスキなように、
イヌやネコが大スキな人が、イヌやネコを愛するように、

「たまたまその仕事がスキ」なだけですからね。(笑)

そりゃ世間の正論は、

「どんなにつまらないと思う仕事でも、工夫次第で、のめり込むことができる」

ってことだと思うんですけど、

それって、「キライな食べ物をスキになる」みたいな、ある意味不自然なアプローチだと思うし、

そんなことしなくても、「今の自分のまま」でも「こだわっていること」ってあると思うんですよ。
それが「仕事につながるものじゃないかもしれない」けど。

なので、「私はなんで今の仕事をガンバれないんだろう」って落ち込むっていうよりは、

「私のこだわりや、衝動は、どこにあるんだろう?それを人生に活かす方法はないかな?」

って、考えてみるのがいいのかなと思うんです。

あ、ここでの「こだわり」とか、「衝動」って、「寝る」とか、「ゲームしまくる」とか、「お酒を飲む」とか、そういう、憂さ晴らしや、気分転換にやるような「快楽的なこと」は含まれませんからね。(笑)

もっと自分の深いところから込み上げてきて、「思わずやっちゃう」ものというか。

では最後に、このブログではおなじみの為末大さんのつぶやきをご紹介して、今回のブログを終えたいと思います。

 

ある村人が毎日山を登って降りてくる。
気になった他の村人がついていったら、ただ山頂で石を積んでいた。

なんでそんなことをするのかというと意味はないという。
そんなわけないと問い詰めても、意味はないと繰り返す。
村人は混乱した。
努力の世界にいる人は意味から逃れられない。

行と遊びは似ていると思う。
意味はなく、目的もなく、ひたすらに今がある。
努力は夢を達成する為に行うものだとしたら、遊びは遊ぶ為に行う。

そしてもしかするとひたすらに遊び続ける人を、
努力し続ける人と呼ぶのかもしれない

 

それでは今回はココまでにします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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