「救われる言葉」の構造

ココロのコラム(雑記)

今までこのブログの中に、「救われる言葉」が、

あったあなたも
なかったあなたも

こんにちは。

銀行口座に身に覚えのない入金があってアセリ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

 

えーと、私、今年の5月に広島でワークショップを開催したんですけど、なんと、その時参加していたみなさんが自主的に、

「自己愛を活かす会 in 広島」

を開催したそうなんですよー。(しかも盛り上がったらしい)

いいなぁ、こういう「人とつながる」企画って。

私はやっぱり、

「人は人の中で癒されて、成長する」

って思ってますから、こういう集まりって、とても大切だと思うんですよ。

だって「自分の気持ち」を他の人とシェアすれば、ツラい気持ちは軽減するし、ウレシー気持ちは倍増しますからね。

なので、広島のみなさん、ぜひこれからも定期的に集まってくださいねー!

(「人との集まりを継続させるコツ」はコチラからどうぞ)

人との集まりを継続させるコツ

 

あ、で、場所は変わって、今度は東京の「自己愛を活かす会」の話なんですけど、

この会には、参加している方だけがご存知の私の言う「お決まりのギャグ」みたいなものがありまして(笑)、今回その1つをご紹介しようと思うんですけど、

私、懇親会の席の盛り上がったタイミングで、いつもこんなことを言うんです。

「正ネガ読んで、こんな会に参加しているってことは、もうみなさん、自分がカタギじゃないってことわかってるでしょ? (笑)」

私がこれを言うと、みなさん妙に「キャー!キャー!」なります。(笑)

これだけ「キャー!キャー!」なるのは、普段みなさんが、

「普通じゃない自分をどこかマズイな」

と思っているからではないでしょうか。

「まわりの人が当たり前にできることが、なんで自分はできないんだろう?」とか、

「まわりの人がみんな盛り上がっているのに、なんで自分はその中に入れないんだろう?」とか、

そんな自分を多少なりとも責めていると思うんです。

あ、でも不思議なのはですね、私がこうなふうに「カタギじゃない」なんて、思いっきり失礼なことを言っても、なぜかみなさんからは、

「カタギじゃないと言われて、『この人、なんてヒドイことを言うんだ!』と思った反面、なんだか楽になりました!」

みたいなことを後から言われることが多いんですよ。

 

 

ということで、今回のブログなんですが、このブログの中で、みなさんから

「この言葉に救われました」
「この言葉で楽になりました」

みたいなことを言っていただける言葉は、どのような構造で作られているのか?

っていうお話をしたいと思います。

えー、さてさて、ではまず「悩んでいる人」の話から入りたいと思いますが、

「悩んでいる人」って、「なんて自分はダメなんだ!」とかって、「自分の能力や性格や自分自身を責めている」わけですよね。

でも、このブログを昔から読んでいる方はご存知かと思いますが、「自分を責める」って、ホント良くないというか、むしろ逆効果になって、かえって悩みが解決しないことが多いんですよ。

この辺の話は過去の記事でたっぷりお話しているので、意味がわからない方は、まず以下の記事を読んでみてくださいねー。

(「自分を責めても、悩みが解決しない」についてはコチラからどうぞ)

思ってはいけないと思ってはいけない

 

で、この、「自分を責めても、悩みが解決しない」ってことですけどね、それを何とかしようと、最近、

「自分に許可を出す」

みたいなことが流行ってるじゃないですか。

自分自身に

「○○してもいい!」とか、
「○○しなくてもいい!」とか、

言い聞かせるみたいな。

確かにこの、「自分に許可を出す」って大切なことなので、私も昔は、

「○○してもいい!」
「○○しなくてもいい!」

みたいな言葉を、自分自身にかけていたこともあったんですけど、なんか「表現がストレート過ぎ」のような気がして、自分で言っていて、わざとらしいというか、なんかムズムズするんですよね。(笑)

私がひねくれ杉だからかなぁ。(笑)

なので、「カタギじゃない」に話を戻すとですね、

これもやはり、「自分に許可を出す」という意図を持って言っているわけなんですけど、

「普通じゃない自分」を責めている人に対して、ただストレートに、

「普通じゃなくていい!」
「まわりと同じようにしなくてもいい!」

とか言うと、ムズムズしますから(笑)、その代わりに「カタギじゃない」って言っているんですよ。

だって、「カタギじゃない」ってことになれば、わりと自然に、

「じゃあ、普通じゃなくてもしょうがないよね」

って感じになりませんか。(笑)

Aさん 「英語がうまく話せない。私ってなんてダメなんだ!」
Bさん 「だってイギリス人じゃないもん」

みたいに。(笑)

要は、「普通じゃなくていい!」とかストレートに言って、「普通じゃない自分」を「意識的に」受け入れようとするよりも、

「カタギじゃない」って言葉を使ったほうが、「じゃあ、しょうがないよね」って、より自然に「普通じゃない自分」を受け入れられると思うんです。

そのほうが少しだけ「自分にOK」が出しやすいというか。

だから、みなさんから、

「カタギじゃないと言われて、『この人、なんてヒドイことを言うんだ!』と思った反面、なんだか楽になりました(笑)」

とか言っていただけるんだと思うんですよ。

いやぁ、我ながら、こっそりイイ仕事しているなぁ。(笑)

あ、自画自賛し杉田。(笑)

で、考えてみれば、このブログって、みなさんから

「あの言葉に救われました」
「あの言葉で楽になれました」

とか言っていただける言葉って、だいたいこの、「カタギじゃない」みたいな、

「ストレートに言わずに、でも今の自分にOKを出す」

みたいな構造でできているんですよ。

ほら、おなじみ、「渋々やる力」ってあるじゃないですか。

(「渋々やる力」についてはコチラからどうぞ)

渋々やる力

これも「ヤル気がない」ってことにはストレートに触れずに、「ヤル気がない自分にOK」を出しにいっているんですよね。

だって「渋々やる」って、そもそも「ヤル気のない自分を受け入れている」ってことになりませんか?

「ヤル気がない自分」を「意識的に」受け入れようとしなくても、「渋々やる」って言葉で、知らず知らずのうちに、そんな自分を少し受け入れられるようになるんですよね。

エッ、「ヤル気ない自分を受け入れたらマズイでしょ?」ですって?

あ、確かにそうですよね。(笑)

でも不思議なんですけど、

「ヤル気がない自分」を責めて動けなくなっている人は、「ヤル気出さなきゃ!」とか自分に声をかけるよりも、

「ヤル気のない自分をいったん認める」ほうが、逆に動けるようになったりするんですよ。

心の中で叫んでいる「ヤル気ない自分」が、「やっと少しわかってもらえた・・・」って暴れるのを緩めますから。

そう、これが「自分に許可を出す」ってことのマジックなんだな。

↓あ、今回の話って、この記事につながっていきますよね。

「自分を大切にする」ということ

 

いやぁ、今回の記事は地味ですけど、わかる人にはわかる、かなりの有料コンテンツ話しちゃったなぁ。(笑)

エッ、「 『カタギじゃない』 とか、『渋々やる』 とか聞いても、全然自分を受け入れられない」ですって?

も、申し訳ございません。
それこそ本当の有料コンテンツ、個人セッション(心理セラピー)をどうぞ。(笑)

 

それでは今回はココまでにします。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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