「自信が持てない」という悩み

個人セッション(心理セラピー)体験者の声

「自信が持てない」

と悩んでおられたクライントさんから、
個人セッション(心理セラピー)の後にいただいた感想です。

(ご本人の許可をいただいて掲載しております)

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杉田さま

こんにちは。
△月△日の午後△時から2時間セラピーを受けた○○です。

セラピーを通して気付いたことの整理の意味も兼ねて、いくつか(勝手に)ご報告させて頂きたいと思います。

以下、なるべく自分の自然な言葉で書きたいので、冗長かつ滅裂な文章になるかもしれませんが、ちょっとだけ許してください。

まず、何と言っても一番大きな気付きは
「あー、俺は他人に人生の舵を取らせてたんだな」
ってことです。

僕は大学の頃から自己啓発本を読み漁っていて、
「他人に依存してはいけない」
「全ては自分の責任だと思うこと」
なんて当たり前だと思ってました。

でも実は、その当たり前のことが出来てなかったんですよね。

「母さんがもっと強くて、ダメな俺を受け入れてくれたら」
「父さんを心から尊敬できて、静かに見守ってくれていたら」

こんな妄想ばかりしていた自分がいました。
なぜ今まで気付かなかったのか不思議なくらいに。

この辺りをセラピーでは徹底的に扱ってもらって、「他人に(いい意味で)期待をしない」ことを学んだ、というか、どちらかというと「諦める」って感覚なんですけどね、僕の中で。

他人が僕を受け入れてくれるかどうかは、僕のコントロールできない部分だったのに無理矢理変えようとしていたことを「諦めた」という感じです。

「他人と過去は変えられない、未来と自分は変えられる」

なんて言葉は100回くらい色んな本で見た気がするんですが、僕は腑に落ちていなかったようで、本を読んでわかった気になっていたことと、実際の自分とのレベル差に苦笑してしまいました。

おいおい、俺はレベル30だと思ってたのにスライムすら倒せないじゃないか、みたいな。

また、セラピー後に今までの自分を子供のころから振り返ってみると、新たな気付きもありました。

僕は昔から、自分の意見を否定されるとものすごいショックを受けてしまって、パニック状態になってしまうことがありました。

小学生のとき、クラス会で発表した自分の意見に誰も賛同してくれず、後ろにあったクラスメイトのロッカーに「△△」とか書いた付箋を全員分つけたり。

高校のとき、学園祭の出し物を何にするかという議題で、またしても自分の意見が賛同されず、さすがに暴れはしないもののめちゃくちゃショックを受けたり。

3年くらい前、彼女と一緒に買い物に行って「この服気に入ったんだけど」と言って彼女に見せた服を「ちょっとむずかしいんじゃない?」と否定されただけで、2時間くらい拗ねて喋らなくなって、彼女を困らせたり。

今思えば、この3つ(思い出せばもっとあるでしょうけど)の出来事って全部同じ原因だったのかなと。

この3つはどれも、自分の意見を否定されただけなのに、自分自身を全て否定されたような感覚があったと思います。

これは、多分ですけど、
「あるがままの自分を受け入れてくれなかった親への愛」
が関係していたんじゃないかなと思います。

「良いことをしてる俺ばかり見るんじゃなくて、悪い俺もいるんだからちゃんと受け入れてよ!」
と思ってるのに、母さんも父さんも受け入れてくれない。

「受け入れてくれ、全部受け入れてくれ」
という思いが強すぎて、ちょっとでも否定されるとめちゃめちゃ傷ついてしまう、そんな自分が子供の時からいたんじゃないかと。

そう考えていくと、子供の頃って、やけに反抗的な行動ばかりしていた気がするんですよ。

小学校の頃から授業中に学校を抜けだしたり、書き置きして家出してみたり、クラスの子をいじめたり、イタズラ電話をかけてみたり、△△みたり。

でも、これらのほとんどを、親は知らないんですよね。今も。
やっぱり知って受け入れて欲しかったのかなぁ。ダメな自分を。

もうひとつ考えられる理由としては、優等生じゃない自分以外は親が認めてくれないから、無能だと、(弟みたいに)愛情を持って接してくれないから、『自分の中での優等生な自分像』が壊れるとパニックを起こしていたのかもしれません。

これって自己愛人間そのまんまですよね。

杉田さんが紹介されていた「自己愛人間」って本、最初の数ページ読みましたが、自己愛の強い人って、自分の思い描く自分が現実で達成されているかどうかが最重要事項らしいですね。

優等生で、みんなから賞賛されて、みんなが賛同してくれる、そんな自分像が壊れると、ウキーってなる。

あーでも、自分像を壊してくれて感謝かもしれません。
もし誰からも否定されなかったら、もっと痛い人間になっていたかもしれないので。

ちょっと話が逸れました。
元々は、「何がしたいかわからない」という悩みで相談させて頂いてたんですよね。

(これを初めに書けばよかったかもしれません。
でも、悩みが何であるかわからない状態からスタートしたので、「この部分を治しに行った」って感覚がないんですよね)。

で、話を進めていくうちに
「やりたいこと(ナンパ、コミュニケーションやビジネスを教える仕事)はとっくに分かってるんだけど、一歩踏み込めない自分がいる」
ことに気付いて。

「じゃあ、その一歩踏み込めない理由ってなんでしょーね?」
ってことになって。

「人の目を非常に気にする」「自分に自信がない」
「彼女をつくってもまともにうまくいかない気がする」
「失敗するのが怖い」
とか色々話していくうちに、
「じゃ、ワークやりましょ」ってことに。

杉田さんにも言われたように、僕は感情を表現するのがすごく苦手で、むしろ「感情を出さないのは良いことだ」という考えをもっていた(いる)ので、正直、しんどかったです。

感情を出し切れたかどうかは分かりませんが、いずれにせよ、そーとー溜まってたんだなぁ、と、セラピー終わってつくづく思いました。
「泣きたくて泣いたこと」は何度かあったんですが、自然に涙が出たのも数年ぶりでしたし。

感情を出すってのはやはり慣れないので、時間がかかるかもしれませんが、気付いたらちょっとずつやってみようと思います。

・・・すみません、本当に取り留めのない文章になってしまいました。

何も考えずに書くと信じられないくらい長くなりますね。

セラピー内で、「他人は自分のことに興味ないから、自分のことはほとんど喋りません」って言ったんですけど、これだけスラスラペラペラ書けるってことは、本当は話したいんですかね、なんて思ったりして。

まだまだ書けそうな気がしますが、いい加減にしろと言われそうなのでキリのいいとこで止めときます。長杉田。。

あ、でも最後に一個だけ、これからのことを報告させてください(おい

書いてみたら報告というより宣言ぽくなりましたが、そもそも相手が受けれてくれるかどうかなんてコントロール出来ないんだから、自分が人を受け入れてあげることにフォーカスしようと思います。

これからやっていく仕事も、結果として上手くいくかどうかなんてコントロール出来ないんだから、自分が出来る範囲で、地に足つけたことをやっていこうと思います。

自分の領域を超えたことはスルーして自分が手出しできることを一つ一つやっていきます。

・・・というようなことを、ゆるくやっていこうと思います。

あまりガチガチに決めても、人間なんて失敗する生き物だから、できないときや忘れてしまうこともあるだろうし。

杉田さんがブログに、明石家さんまの言葉で
「自分を過大評価するから苦しくなる」
ということを書いていたと思いますが、その通りで、ゆっくり、やっていけたらなぁと。

それでは、長文メールすみませんでした!

当たり前(?)ですが返信は不要でございますので~
いや、マジですよ(笑)

どうもありがとうございました~!

 

私のセラピーに来られる方に悩みをお聞きすると、まず第一声は、「何がしたいかわからないんです」と言われることが多いんです。

でも実際のセラピーの展開は、このクライアントさんの声のように、その場で「何がしたいかを見つける」というよりは、その人の「何がしたいかわからなくしている原因を探っていく」展開になります。

というのは、多くのクライアントさんは、「何がしたいかわからない」という言葉で、「別の本当の悩みを表現している」ことが多いですし、

それに、子供のころからずっと「無意識に」自分自身を優先しない選択をしている人に、その場でいくら「何がしたいか」考えてもらっても、やっぱりわからないからなんです。

なので、まずは「何がしたいかわからなくしている原因」を解除していくわけですが、そのわからなくてしている原因の多くは、「子供の頃の親との関係」に行きつきます。

セラピーでは、そんな「子供の頃の親との関係」を扱って、「何がしたいかわからなくている原因」を緩めていくようにサポートしていきます。

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