無力感を感じないようにするために

生きづらい

イヤことがあると、

人のせいにするあなたも
人のせいにしないあなたも

こんにちは。

お店で「エビマヨ」を注文したら「杉マヨ」というアダ名を付けられて意表をつかれ杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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えーと、ちょっと前に、久々に会った友人と話をしていたら、

「杉田さん、昔と変わりましたね。昔は、他人の文句ばかり言ってたのに(笑)」

なんて言われたんですよ。
キャー!なんかハズカシー!(笑)

でも確かに言われてみれば、悩んでばかりいた頃の私は、何かイヤなことがあると、

「こうなったのは、あいつがどうだから」
「こうなったのは、会社がどうだから」

みたいに、他人や環境のせいにして、ブーブー文句言っていた気がするんです。

ではなんで、いつの間にか私が、「他人のせい」にするのが減ったのか考えてみたんですけど、それは別に私が立派な人間になったからではなく、

「他人のせいにすると、結局、自分がツラくなる」

ってことが、わかったからなんだと思うんです。

あ、これだけだと意味がわからないと思いますので、これを、「無力感」というキーワードからご説明させていただくと、

「人が悩んじゃう時」って、別の言い方をすれば、

「無力感を感じた時」

とも言うことができるんですよね。

あ、ふだん「無力感」ていうキーワードって、あまり意識してないと思うんですけど、

人は、「もうどうにもならない!」って思う時が一番ツラいんですよ。
それがいくところまでいっちゃうと、死にたくなったりするわけで。

なので、イヤなことがあった時、「他人のせい」ばかりにしている人って、その「他人」が変わってくれないと、その状況が変わらないってことになりますから、

まさに、「自分でどうにもならない」ってことになって、「無力感」を感じやすくなるわけですよね。

だから私は、「他人のせい」にするのをやめたんだと思うんです。
自分が主導権を持っていたいから。

 

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あ、それから、ちょっと話の角度は変わりますけど、私は、自分が「できない」と思っている時は、

それが、本当に「できない」のか?
それとも、「やりたくない」のか?

って確認するようにしてるんですけど、これも「無力感を感じないように」という理由からなんですよ。

それがどうしてかというと、仮の話ですが、もし私が、

「杉田さん、今ここでバック転してください」

と言われたら、

「できないです」

って答えますけど、

もし

「杉田さん、今から駅前で歌を歌ってきてください」

と言われたら、

その答えは、「できない」じゃなくて、

「やりたくない」

なんですよね。

私は今、バック転は「できない」ですけど、駅までは行けますし、歌だって、なんでもよければなんとか歌えますから、

やろうと思えば、「駅前で歌を歌う」は、「できる」わけですよ。

ということは、「できない」ことは、「できない」けど、「やりたくない」ことは、「できる」んですよね。

あ、なので、たとえば、

「就職活動できない」
「就職活動やりたくない」

という2つの文を比べてみると、

「就職活動やりたくない」は、まだ主導権が自分にあるので、「どうにもならないこと」ではなくて、「どうにかなること」なわけですよね。

ということで、私が、「他人」のせいにしなくなってきたのも、「できない or やりたくない」を確認するのも、

「自分が無力感を感じないようにするため」

なんですよ。

そうするほうが、自分と向き合わなくてはならなくなりますけど、「自分が選んでいる」という感覚が持てるから、人生が自分の手の内にあって、まだツラくならないんですよね。

あ、でもそうはいっても、みなさんの中には、

「自分は間違ってないので、他人のせいにするのは当然」
「やりたくないと思っている自分を認めるほうがツラい」

なんて方もいらっしゃると思うんです。

そういう方はそれでいいと思うんですよ。

他人のせいにするのも、「やりたくない」ことを、「できない」って言ってしまうのも、別に悪いことじゃないと思うんです。
自分が良いほうを選べばいい。

でも不思議なのはですね、

本当にツラい体験をして、それをくぐり抜けてきた人の話を聞くと、「まわりがどう」ということから離れて、

「自分の内側に自由を見出している」

ような気がするんです。

たとえば、

私がこのブログの中で、「オススメの本」としてご紹介している「夜と霧」という本の著者もそうだったし、

先日、私が観た「インビクタス/負けざる者たち」という映画の中でも、あのネルソン・マンデラ氏が、27年間の獄中生活の中で心の支えにした詩が紹介されていて、

その詩の最後のフレーズも、まさに「自分の内側に自由を見出している」感じでした。

その映画の中のセリフとして登場した、その詩は、

10代で病気により片足を切断、その後、娘を病気で亡くすなど、数々の不運にみまわれた、イギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーという人が、自らの魂の救済を求めて書いた詩なんだそうです。

最後に、ネルソン・マンデラ氏が心の支えにしたその詩をご紹介して、今回のブログを終えたいと思います。

 

インビクタス-負けざる者たち-

夜より出でて私を覆う
奈落のごとき漆黒の闇
どんな神であれ感謝する
征服されざる我が魂に

過酷の魔の手に落ちてなお
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
頭が血にまみれようと決して屈しまい

怒りと涙つきぬこの地の彼方
死の影が恐怖をほのめかす
だが幾年月脅威にさらされようとも
私は何一つとして恐れはしない

その門がいかに狭くとも
いかなる苦しみを覆うことになろうとも
私が我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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