不器用を受け継ぐ

ココロのコラム(雑記)

物事の切り替えが

うまいあなたも
うまくないあなたも

こんにちは。

上着の袖から垂れた糸がスープにつかり杉田です。

1週間お疲れさまでした!

 

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あ、みなさんはどうでしょう?
物事の切り替えって、うまいほうですか?

きっとうまい方、うまくない方、どちらの方もいらっしゃると思うんですけど、私自身は、物事の切り替えって本当にヘタなんですよ。(笑)

このブログの中で何度かお話している「カナダの生活」を20年間引きずったり、失恋を5年間引きずったり、楽しいこともツライことも、とにかく引きずって、なんかうまく切り替えられないんですよね。

(「カナダの生活」についてはコチラからどうぞ)
Vancouver on my mind
楽しいことをあえて完了させないことで、長く楽しむ作戦

なので、私と同時期にカナダに行った日本の友人たちに、「帰国後カナダの生活を引きずらなかった? 日本に帰ってきた時、すぐに現実に戻れた?」って何人にも聞いてみたんですけど、

みんな「少しは引きずったけど」みたいな答えばっかりで、あっさり日本の生活に順応して、順調に活躍している人が多いんですよ。中にはその後、社長になったり、上場企業で部長になってる人もいて。

私のように、いつまでもカナダを想い続けて、波乱万丈な人生になっている人なんていないんです。

なので、「んー、なぜみんなは、あんな楽しい体験をして、あっさり現実に戻れるのかな?なんで自分はこんなに切り替えがヘタで、不器用な生き方になってしまうんだろう?」って長い間 思ってたんですよね。

でも考えてみれば、私、子供の頃からよく「不器用」って言われたんですよ。小さい頃は「手先が不器用」ってよく言われてましたし、それが高校の頃には「勉強の仕方が不器用」と言われ、気がつけば「(生き方が)不器用」って言われるようになってた気がする。(笑)

と、そんな筋金入りの不器用な私ですが、ある時、私が不器用になった理由がわかった時があったんですよ。

それは私の結婚披露宴の時だったんです。

あ、私、披露宴の時、乾杯の音頭をお願いした師匠の 竹内秀一さん以外は、妻や私の両親を含めて、事前に誰にもスピーチをお願いしないで、当日いきなりマイクを振ったんですね。自然な感じの披露宴にしたかったので。

そしたら私の父にマイクを振った時、父は、

「私は「要領が良い」というのが大嫌いなんです。愚直なぐらいがちょうど良い。こいつ(杉田隆史)は、私以上に要領の悪いバカな男ですから・・・」

とか言ってたんですよ。(笑)

私、それ聞いて「なんだ!不器用になったのは、お前(父)のせいか!」って初めて気づいたんですよね(笑)愚直とか、不器用とかって、父の信念だったのかと。

あ、でも私、子供の頃の父の記憶ってほとんどないんですよね。父は典型的な高度成長時代のサラリーマンで、家にいなかったですから。

それに父から生き方に関して「ああしろ、こうしろ」とか言われたことないし、もちろん「愚直に生きろ」とかも言われたこともないのに、やっぱり子供は親の背中を見てるんですね。自分も無意識に親の良しとする生き方をしてたんだな。

あ、子供の頃の親との関わりって、性格や対人関係に影響するってことは、度々このブログでお話していますけど、

私のように親から「ああしろ、こうしろ」とか言われたわけでもなく、そもそもそんなに交流があったわけでもないのに、無意識に「親のようにならないと!」って思っていることってけっこうあるんですよ。

たとえば、親がとても優秀だったりすると、親から優秀であることを求められたり、圧をかけられたりしたわけでもないのに、本人は「優秀じゃないといけない!」とか思ってしまったり、

親がキレイな人だったりすると、親から「キレイになりなさい」とか言われたわけでもないのに、「キレイじゃないとダメなんだ!」とか思ったり、

そういうふうに「○○じゃないといけない!」って思っていることがかなわない時、人は自分が受け入れられなくなって悩むんですよね。

つまり、性格って、親が何を言ったかで決まるのはなく、結局「子供の頃の本人がどう感じたか」ってことで決まってくるんですよ。

(そんな話はコチラからどうぞ)

ふつうだったけど、嬉々としてなかった
自分が「ふつうの家庭に育った」と 思っているあなたも 思っていないあなたも こんにちは。 米津玄師の「馬と鹿」の歌詞が「なかったー!」しか聞き取れな杉田です。 1週間お疲れさまでした! ...

 

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あ、で、ここからはちょっとヘンな話になって申し訳ないですけど、私、妻から度々、

「愛情表現が外国人っぽいよね」

って笑われるんですよ。(笑) 言われてみれば、たしかに私、言葉でも態度でも愛情を表現するタイプなんです。(笑)

でも不思議だったのは、私、海外に5年以上住んではいましたけど、過去に外国人のパートナーや外国人っぽい愛情表現をする人とお付き合いしたこともないし、私の両親もそういうタイプじゃないし、そもそも「愛情表現が外国人っぽい」なんて私のキャラとも合ってないし(笑)、なんで自分が外国人っぽい愛情表現をしてしまうのかわからなかったんですよね。

でもこれ、自分を深掘りしてみると、「自分の不器用さからやってるんだな」って思ったんです。

これどういうことかというと、先ほど私の披露宴の話をしましたけど、実は披露宴当日、妻の両親と私の両親って初めて顔合わせしたんですよ。要は、その前に「両家の顔合わせ」がなかったんです。

なぜかそうなったのかというと、私の父が「両家の顔合わせに出ない」って言ったからなんですね。

あ、私の両親、母が他にスキな人ができて離婚していたので、私の両親は、離婚以来20年以上会ってないはずなんですよ。だから私は、父と母それぞれに「両家の顔合わせに出てくれるか?」って確認のため電話したんですね。

すると母は「出る」って言ってくれたんですけど、父は、長い沈黙の後、

「出ない。なんで家を出て行ったやつ(母)と、また会わないといけないんだ」

って言ったんですよ。

その言葉を聞いた時、私、胸が痛くなったんですね。子供の頃、いつも両親がケンカばかりしていて、そのことに心を痛めていた頃の自分に戻ったような気がして。

で、父との電話が切った後、しばらくイヤな気分が続いたんですけど、フと思ったのは、

「あ、父は、まだ母を愛しているんだな・・・」

って。

人って、フラれた相手になかなか会えないのは、まだ心の奥に未練があるからじゃないですか。父は20年以上もたっても母と別れたことを乗り越えてないし、まだ母を愛してるんだなって思ったんですね。父も引きずってるなぁ。不器用だなぁ。(結局、父は「両家の顔合わせ」には出なかったけど、「披露宴」には母と出席してくれた)

で、私は、離婚後も父が母を愛していることがわかって、哀しいような、切ないような、でも少しうれしいような、なんとも言えない気持ちになったんですよね。

なので、私の「愛情表現が外国人っぽい」というのは、親が反面教師なんでしょうね。「両親がこういうふうにラブラブだったらウレシかったな」っていうのを自分が体現しているんだなって。

私、心理を勉強してきて、「言わなくても察して!」というのは通用しないのはわかっているので、私の「愛情表現が外国人っぽい」というのは、真顔で「ジュテーム」みたいな感じではなく(笑)、恥ずかしいので外国人っぽい軽いノリでちょっとギャグにしながらも、でも超本気な私の愛情表現なんですよ。

そんなことを妻から「愛情表現が外国人っぽいよね」って言われた時、自分がそうやっていることに気づいたんですよね。いやぁ、オレもしょうがないなぁ。不器用だなぁ。(笑)

 

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さ、ということで話はだいぶ飛んでしまいましたが、

結果的に私は、杉田家伝統の「不器用」を受け継いでしまったようですけど、そんな要領が悪い自分を「困ったもんだな」と思いながらも、なんだかんだ不器用がイヤじゃないんですよ。(笑)

むしろ不器用な人がスキ。器用な人とか、変わり身早い人とか、全方向に愛想ふりまいている人とか、「なんか信用ならない」って思っちゃう。(笑)

あ、ちなみに妻も不器用な人がスキらしく、だいたい妻が家に連れて来る友人は、「不器用な人」とか「変わった人」ばかりなんです。(笑) だから私も結婚相手に選んでもらえたのかな? いやぁ。不器用で良かった。(笑)

なので、私の引きずる・切り替えられない問題について、今は、

「もうしょうがない。自分はそういう人間なんだな」

って思ってるんですよ。エヘヘ(笑)

 

それでは今回はココまでにします。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次回お会いしましょう!

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